蘭  丸 (らんまる)

生年月日  1982年7月3日
性   別   男 
血   統  シェルティーと日本犬とのハーフ
性   格  とてもおくびょう者
好   物  魚
苦手な物  かみなり,風呂

1999年5月6日,私の母親と妻と娘に看取られながら静かに永眠。享年16歳10ヶ月。


我が家にやってきたきっかけは・・・

 私が高校3年の時,同級のH君が「だれか,犬いらないか?」と話を持ちかけてきたのがきっかけ。特別犬が飼いたかったわけでもなかったのですが,何となく飼ってみようかなと思い,親に内緒でもらう約束をしてしまいました。
 結局親には言い出せず,いちかばちかである日突然家に連れて帰りました。案の定,母親はかんかん(どうも動物嫌いのようだった)。「すぐに返してこい!」「だれが面倒を見るんだ!」との声が飛び交いましたが,何とか飼うことの許可を得ました。今考えると,小学生と同じですね・・・。


名前の由来は・・・

 そのころ,「はいからさんが通る」という少女漫画がアニメ化され,放送されていました。その漫画の登場人物に”藤枝蘭丸”という女の子のような男の子がいて,別に好きなキャラでもなかったのですが,蘭丸という響きがよくて,「蘭丸」と名付けました。姉は野口五郎のファンであったので,「五郎」がいいと主張しましたが,遠い埼玉の地にいたので聞き入れられるはずもありませんでした。


その後の蘭丸は・・・

   幼年期        青年期        壮年期        老年期


永眠・・・。享年16歳10ヶ月

 昨年あたりから,ご飯を食べなくなったり,後ろ足が立たなくなったりして「もう,だめかな・・・」と思うことが何度もありました。でも,何とか元気を回復し今年の春を迎えました。ところがゴールデンウィークに入った頃,「どうもいつもと様子が変だ!」という母親からの電話で急いで実家へ駆けつけると,寝たきり状態の蘭丸の姿・・・。さすがに今度ばかりはだめかと思いました。
 5月5日,親戚の獣医さんに診てもらったところ「今日,明日の命」とのこと。全身から力が抜け落ちていくようでした。翌日仕事へ行かなければならなかったので,夕方蘭丸と最後のお別れを独りでしました。その時に私が言えたのは,ただ「ありがとう・・・」だけでした。
 5月6日早朝,仕事へ行く合間をぬって蘭丸の様子を見に行きました。食べない,動かないという状態は変わっていませんでしたが,「らん!」と声をかけると心なしか目が反応しているのが分かりました。「もしかしたら,回復するのでは・・・」と淡い期待を持ちながら仕事へ向かいました。
 しかし・・・。午前10時20分過ぎ,妻から携帯に伝言が・・・。覚悟していたとはいえ,目から涙がこぼれ落ちそうになりました。母親の手配で,夕方お寺で火葬を行うことになり,休暇をもらって急いで帰宅しました。途中,花屋によって花束を買いましたが,まだ蘭丸が死んでしまったことが信じられない状態でした。

  −−−蘭丸の最期の言葉は・・・−−−
 ちょうど私の妻が娘を連れて病院へ行く途中,実家に寄って蘭丸の様子を見たところ,様子がおかしいのに気づきました。二階にいた母をすぐに呼んで様子を見ていたところ様態が悪化。「らん!らん!」の母の声に答えたのか,「ふわあん・・・」とかすかな声を出し,静かに目を閉じました。母と妻には「ありがとう」と聞こえたそうです。
 


家族の一員として手厚く埋葬

 実家に着くと急いで犬小屋へ・・・。そこにはタオルにくるまれた蘭丸が・・・。「ああ,死んでしまったんだ」と改めて思い知らされることとなりました。適当な大きさの段ボール箱に蘭丸を乗せ,車で西那須野にある宗源寺へ向かいました。
 境内には動物用の小さな火葬場があり,そこでお坊さんにお経を上げてもらいながら焼香,献花。いよいよ鉄の扉がしまるという時は,さすがに悲しくて仕方がありませんでした。「らん,ありがとう・・・。ゆっくり休んでくれなあ・・・。」
 5月7日午前9時,蘭丸の遺骨を引き取りに再び宗源寺へ。お経を上げてもらった後,お骨を受け取り家に帰りました。蘭丸のお墓は実家の門にある松の木の下にしました。ずっと荒井家の番をしていて欲しいとの願いからです。

蘭丸のお墓です。
墓石は父が河原から見つけてきたものです。犬小屋に付けていた表札と水飲みに使っていたお皿を置いています。実家を訪れる度に手を合わせ,水を取り替えるのが習慣になりました。
2003年,蘭丸の墓碑が完成しました。
父が趣味で陶芸をしていますが,それを生かして作ってくれました。
絵は,娘が写真をみながら描いたものを,父が書き写しました。
親バカかもしれませんが,蘭丸の優しさとかわいらしさを上手に表現できていると思います。